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インドネシア 2日目 孤児との触れ合い

インドネシア2日目

生徒たちと一緒に高校に登校します。
まずは、インドネシアの民族舞踊を習いました。
インドネシアの学校では、女子は膝が隠れる長さの洋服を着なければなりません。

そのあとは、英語の授業と日本語の授業がありました。
英語の授業では、昨日の宿題(SDGsの目標で自分にとってもっとも大切だと思う目標はどれか、その理由は何か)を発表した後、自分たちが何ができるか、という意見を出し合いました。
プレゼンは挙手制でしたが、主にインドネシア人がしました。
インドネシア人の英語力は私の生徒よりも高いです。年齢も少し高めです。
日本の生徒でプレゼンができたのは、準1級を持っているインター出身の生徒のみ。
やはり、中高生にも準1級はとってほしいと思いました。または、もっとリスニングとスピーキングを伸ばしたほうがいいと思います。これはオンライン英会話が効果的です。

生徒たちが考えた「自分にできること」
寄付、教える、食事をあげる、友達になる、食べ物を無駄にしない、レジ袋を使わない、いい関係を作る、植林、ゴミ拾い、勉強を頑張る、性の平等、民族差別をしない、教科書を寄付、情報を広める





















次は、日本語の授業です。
インドネシアの島の高校生は、インドネシア語、中国語やアラビア語、英語ができた上で、日本語を学んでいます。
日本語の授業では、学ぶばかりだった日本人の生徒たちは、隣の生徒に誇らしげに日本語を教えていました。立派な世界貢献です。

ランチの様子 隣は異性か外国人というルールをみんな守ってくれます。



昼食のあとは、夕方に孤児院を訪ねる前に、孤児の神崎龍児くんの話を聞きました。

右端の白いシャツが龍児くん ホームレスの孤児でしたが、今は精悍な高校生です。


神崎龍児くんは日本生まれで東京の小学校に5年生まで通ったのですが、インドネシア人の母親は生後すぐに亡くなり、2011年、11歳の時に日本人の父親を東日本大震災の津波で亡くしました。
インドネシア国籍だったためにすぐに入国管理局によりインドネシアに強制送還となり、言葉も食べ物も全く馴染みのないインドネシアの孤児院に入れられました。
食べ物がもらえず、寝るスペースもなかったために孤児院を飛び出し、ホームレスとなり、想像を絶する苦労をした18歳の青年です。
彼の話を聞いて私たちは涙が止まりませんでした。
子どもにこんな苦労をさせるなんて日本も無慈悲だと思いました。
でも、彼は今、空手の先生、サッカーのコーチ、ルマビンタンのイクミさん、といった多くの方々に助けられ、今は、高校で一生懸命に勉強しています。

孤児院に行ったら、孤児の子に何をしてあげたらいい?という質問に対し、
龍児くんは
「ハグしてあげてほしい」
と言いました。

孤児をたくさんハグしました。とても可愛いかったです。
この日の牛乳とお菓子を買っただけでも70人もいるので結構お金がかかりました。
孤児院の運営には実に多くのお金がかかります。


毎回、孤児院に参加費から寄付をしています。
今回は寄付の品々の他に3万円(前回は24人いたので、5万円)寄付しました。
これだけでも、ビンタンの1ヶ月分の収入なので、雨漏りの修繕費の半額になります。
寄付のしがいがあるというものです。

Aくんが日本から持ってきてくれたおもちゃ 磁石で組み立てるものです。電池はいらないいし、想像力が育つのでとてもいいと思いました。次回はレゴを持って行こうかと思います。

日本の折り紙やけん玉も大人気。孤児の子達は日本の生徒たちに遊んでもらうのが大好きです。
立派な世界貢献です。中高生の奉仕精神、自己肯定感も高まります。
1日のスケジュールが終わり、生徒たちはそれぞれの家に帰って行きましたが、夕食後はみんなで街のカフェに集まって、いつまでもおしゃべりしていました。
でも、私は龍児くんのことを考えこんでしまって外に出られませんでした。

彼は日本語が大好きで、英語もインドネシア語も話せます。
空手黒帯の健康な18歳です。
日本で働くことを希望しています。

こんなに不幸な10代を過ごした彼を幸せにできなかったら、私の人生に意味がないのではないかと自問しています。

今回、生徒たちは、インドネシアで使う用に渡したお小遣い(一人千円くらい)をほとんど使わず、インドネシアを去る時に、龍児くんのために寄付していました。
生徒たちの中に貢献の意識が芽生えているのを感じました。

参加生徒たちにとってあって当たり前の保護者、家、食べ物、安全。
全てをたった11歳で失った龍児くんの言葉は、生徒たちの心に届いたようです。

夜はまたみんなでカフェに集合 おしゃべりが止まらないようです。