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参加者が留学について書いた作文が全国コンクールで入賞しました。


この夏休み「中高生のためのシンガポール・インドネシア留学」に参加した中学3年生が書いた作文が全国作文コンクールで入賞しました。
今日その知らせを受けて、彼女の作文を読み、私は出先であったにも関わらず、嬉し涙が止まりせんでした。
私が留学中に生徒達に伝えたかったことを全て受け取り、吸収し、思考し、表現してくれたこの素晴らしい作文をどうぞお読みください。
ご本人とコンクール事務局の許可を得て、掲載します。

異文化交流を通じて学んだこと

今日本では来たる二〇二〇年の東京オリンピックに向けて準備が進められ、その時に来日する外国人たちをどのように迎えるかが議論されている。多くの外国の観光客や報道陣が訪れるこのイベントは日本を世界中の人々によく知ってもらう大きなチャンスだ。彼らを案内するボランティアの募集なども始まっているが、この時高校生になっている私にも何かできることがあるだろうか。この夏に私が経験した異文化交流を通して学んだことから考えてみた。
私はこの夏休みに、シンガポールにホームステイ留学をした。これは日本全国から集まった二十名ほどの中高生が、アジアの中でもハイレベルな教育をしているシンガポールで学び、将来国際社会に貢献できるような人材になってほしいという主催者の方の熱意と、現地のたくさんのボランティア学生によるサポートで実現できたツアーだった。外国へ行くこと自体が初めての私にとって、英語と異文化、そしてたくさんの民族で溢れるシンガポールは異次元の世界だった。
シンガポールに到着して一番最初に学んだのは水の貴重さだ。シンガポールには川がないためにマレーシアから水を輸入している。常に水が無くなる恐怖と戦ってきたということを教わった。水も資源もなく国土も小さいこの国では、国民の税金は一番に国防、二番目は教育に費やされているという。国を守ること、そしてその国を支える人材の育成に最も力を注いでいるのだ。シンガポールでは小学校卒業時に試験を受け、進路として進学または職業訓練のコースが決まる。子供の未来を早期に決めてしまう残酷な制度だと思ったが、少ない人口から高度な教育で優秀な人材を早期に生み出さなければ国際社会で生き残れないと考えるこの国では、配慮する余裕はないのだ。
現地で私の通った学校では高度な内容の宿題が毎日大量に出て夜中まで勉強しなければならなかった。この宿題をこなすのをシンガポールの高校生たちがボランティアで手伝ってくれた。彼らは英会話だけでなく町の案内や生活の仕方などいろいろ教えてくれ、とても仲良くなった。彼らはとても学業優秀だが、男子学生はもうすぐ兵役につくという。シンガポールには徴兵制度があるために、高校卒業から二年間訓練を経て、やっと大学進学をすることができるのだ。「兵役につく」ということは、万が一シンガポールとどこかの国が戦争を始めたら彼らも戦う、ということだ。自分の友達が戦争に行く可能性がある、ということに気付いて初めて戦争を身近に感じ戦慄が走った。シンガポールが非常に小さな国でありながら、安全で先進国でいられるのは未来を担う若者たちが本当に大変な思いをして国を支えようとしているからなのだと思い知った。
シンガポールでは八月九日はナショナルデー(独立記念日)だ。この国には様々な民族がいる。中国系、マレー系、韓国系……。その様々な民族が心を一つにして独立記念日を祝う。盛大なパレードや光のショー、ガーデンラプソディーなど、シンガポール人が心からこの日を祝っている様子を目にしてとても興味深かった。シンガポールの戦争博物館では第二次世界大戦時日本がシンガポールを占領していた時のことを学んだが、シンガポール人はそのことを恨むような教育はしていないのだという。ガイドの方のその説明の中で、「ForgiveDon’t forget」という言葉が印象に残った。戦争で日本がしたことは赦す、でも忘れない、という意味だ。翻って、私たち日本人はどうだろうか。終戦記念日がある八月になるとテレビや新聞で原爆や空襲の特集があるが、アジアの国々で日本が何をしたかはあまり知らない人が多いと思う。戦後七十年以上が経ち、過去に必要以上にこだわり続ける必要はないが、どのようなことがあったのかという事実について学び知る必要はあると思う。国際理解の第一歩は、相手国の歴史文化を学んで尊重し、自国の歴史文化についても説明できるようにしておくことだと痛感した。
シンガポール滞在中、休日を利用して海を渡りインドネシアでもホームステイを経験した。英語が公用語のシンガポールとは違い、ステイ先の家族はインドネシア語しか話せない。お互い母国語でない英語で身振り手振りを交えて何とか必死でコミュニケーションをとった。こうしてその家の私と同い年の十五歳の女の子と仲良くなったが、彼女はイスラム教徒であるために頭にスカーフを巻いている以外は、お洒落に興味がありバイクを乗り回す今どきの活発な女の子だった。イスラム教徒といえば、テロ事件などで怖いイメージがあったが、インドネシアでモスク(イスラム教の寺院)や孤児院を訪問したりなどで、多くのイスラム教徒の人たちと接したことでその印象は一変した。彼らは信心深いが異教徒にも懐は深く、先入観や偏見を持たずに接すれば本当の姿が見えてくると感じた。モスクでは、イスラム教徒と結婚したために改宗したという日本人女性と話すことができた。彼女によればテロ事件を引き起こしているのは狂信的な一部の人たちだけで、ほとんどのイスラム教徒はそのようなことには一切関係がなく同一視されることにとても迷惑しているのだという。孤児院では持参した日本のおもちゃで子供たちと遊んだりして触れ合った。言葉はあまり通じなかったが仲良くしようという気持ちは通じ合えたと感じることができた。
またインドネシアではマングローブのゴミ拾いのボランティア活動に参加した。マングローブは熱帯地方の川の河口付近で様々な動植物が生息する森林だ。酸素を多く供給してくれ、地球の温暖化を防止してくれる貴重な存在だが、近年乱伐や観光開発などで減少してきている。私の行った地域では、水上生活をする現地の人々が、環境問題の知識がないために川に生活ゴミを捨ててしまい、溜まったゴミが川の環境汚染を招いているのだ。ゴミ回収というインフラが整備されていないことも原因だと聞いた。この問題を解決するには、単にゴミを拾うというだけでなく教育や社会システムへのアドバイスが国際社会に求められているように思う。
こうして夏休み期間だけという短い留学であったが、非常に密度の濃い経験をして帰国した。私が学んだのは積極的にコミュニケーションをとることの必要性や、交流の重要さだ。シンガポールの高校生と会話する中で何度も言われたのは「Don’t be shy!(恥ずかしがらないで!)」という言葉だ。英語力に自信がないために自分から話しかけるのを躊躇してしまったり、自分の意見を押し付けてしまうのは出しゃばりなのではないかと考えてしまい会話が進まなかったりするが、自分のことを知ってもらうためには相手から話しかけられるのを待っているだけではだめで、自ら胸襟を開いていく必要があると感じた。
相手のことを知り、自分のことを分かってもらうためにも話し合う。小さな一歩かもしれないが、一人でも多くの人と接し、心を通わすことで世界の平和につながっていくのではないかと感じることができた。なぜなら人間は得体のしれないものに恐怖心や敵対心を持ってしまいがちだが、きちんと理解しあえば不安も消え、争いごとも減るはずだからだ。よく英語は目的ではなく手段だと言われる。コミュニケーションツールとして語学力を身に着けることは大切なことだと実感した。
また、今回の留学では現地の多くのボランティアの人たちの助けがあっていろいろな経験をすることができた。日本ではボランティアという考えがまだ深く浸透しているとはいえないため、参加することに少し敷居の高さを感じるが、必要とされているところで自分の持っている力を少しでも役に立てられたらと考えている。東京オリンピックでは年齢の問題もあり、直接ボランティア活動に参加することはできないが、大人になるまでの間に知識を蓄え、経験を積んで自分の土台をしっかり築いておこうと思う。

(以上)

今、私の心はほかほかどころではなく、とても熱くなっています。
 子どもたちが愛おしくてたまりません。
テレビ局での通訳・翻訳の仕事がエキサイティングで充実していますが、教育のやり甲斐はその比ではありません。
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