シンガポール英語集中講座のすすめ

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ヒューストン ハリケーン・ハーヴィ 体験記


私はテキサス州ヒューストンに今住んでいます。
日本でもニュースになったハリケーン・ハーヴィは、報道通り凄まじいものでした。
私が住んでいる一帯は大きな被害を受け、うちは奇跡的に無事でしたが、最後の家から水が引いたのがハリケーン通過後2週間の昨日。それまでは大洪水でした。
私も一昨日まではボランティアに奔走し、昨日はようやく休みを取って16時間寝ました。
貴重な体験だったので、記録を残しておこうと思います。

ハリケーン上陸前
天気は快晴。ハリケーンや洪水の準備をするように、と言われても何を準備していいのかわかりませんでした。とりあえず断水と停電の準備をしようと思いました。
スーパーの水やパンは売り切れてしまっていました。沸かして冷ました水を貯めました。
お風呂に水を貯めました。(結局、断水はしなかったので不要でしたし、ハリケーン後にはスーパーで水が買えました。)
ガソリンスタンドには長蛇の列ができていました。(ハリケーン後、製油所が被災により、ガソリンが高騰しました。)
なんだか、その時は、私も周りの人々もこんなに大事になるとは思わずに、スーパーボウルの前の買い出しのようでした。ちょっとワクワクするね、なんて言っていたほどです。

ハリケーン上陸
ハリケーンは、まずはヒューストンの南西の海岸、コーパスクリスティーというあたりに上陸しました。テレビが映し出す暴風は凄まじかったのですが、この日もヒューストンは晴天。このハリケーン情報は本当なの? 学校も休講になったのに、雨もほとんど降らず、肩透かしでした。

雨が降り始める
ようやく雨が降り始めました。バケツをひっくり返したような雨が降ります。それも止みません。洪水の心配が本格的になり、1階にあるものを2階や高いところに移しました。庭の水が家屋に入ってきそうになったので、夫が溝を掘って塀の外に水が逃げるようにしてくれました。

私が住んでいる家は、周りを塀に囲まれた戸建の集合住宅(gated community)にあります。
四方を塀に囲まれているのではなく、1面だけはBayouという小川に面しています。小川沿いの家は、私の家のような塀沿いの家に比べて景色も良いため、お金持ちが住んでいます。私のコミュニティーでは、164軒のうち、40軒くらいが小川に面しています。

携帯電話で(Flash flood)鉄砲水のアラートが何度もなり、うるさいので消してしまったのですが、実はこの時にはうちのコミュニティーの川沿いの人は家の中に水が入ってきていて緊急避難をしていました。

洪水が始まったという情報があったので、大雨の中、数十メートル歩いて小川沿いの家を見に行くと、モーターボートで次々と人が救出されていて驚きました。強制退去です。
着の身着のまま犬と脱出したアメリカ人友人を家に招き入れましたが、彼らは一人一つのゴミ袋を持っているだけでした。
うちに泊まるように勧めましたが、被災者はホテルが無料で、早く取らなければ部屋がなくなるということでその友人はホテルに行きました。日本人社会ではこのことを知らない人がいたので、次の「洪水被害にあったら」に詳しく書きます。

雨が止んだあとのダムの計画放水
雨は止みました。ところが洪水は引きません。引かないどころか水位が上がります。
理由は溢れそうになった貯水池のダムの決壊を防ぐために計画放水(Controlled release of water)をしたからです。
記者会見があるたびに、コミュニティーの人たちはテレビにクギ付けです。ダムの決壊は困るけれど、放水も困ります。結局、この放水によって新たに多くの家が床上浸水しました。やるせない思いです。

結局、私のコミュニティーでは164軒のうち、床上浸水した家が130軒ほど、停電も浸水もしなかった家が我が家を含めて20軒ほどでした。
浸水して廃車となった車が150台以上 このことから、どれほど急激に水かさが上がったのかお分かり頂けると思います。

雨が止むと私はボランティアを始めました。
まずしたのは、放水によるこれ以上の水位の上昇に備えて、お年寄りの家の荷物を2階にあげたり、まだ浸水していない車を計画放水による浸水の被害から守るためにジャッキアップをしたりすることです。

次は毎日の水位を避難している人たちに知らせました。
皆、自分の家の様子やいつになったら戻れるのか知りたがったからです。

また、アジア人の被災者のために、防水ズボンとボートを手配しました。ハンティングや釣りをあまりしないせいか、アジア人はアメリカ人ほど防水ズボンを持っていなかったからです。
このことに関しては次の、「洪水の被害にあったら」に書きます。

水深レポートのほかに、家屋状況のレポート、カビないように2階の窓開け、近くのホテルに避難中の人のための洗濯、警備員のサポートなどいろんな仕事がありました。

水位が下がって、人が帰ってきたら、ボランティアチームを作って、保険をかけていない家を中心に、床剥がし、壁剥がし、清掃などのお手伝いをしました。

こちらの家は木造が多いので、浸水したらすぐに壁や床をはがして、柱を乾かさなければいけないのです。

ハリケーンがすぎて2週間。ようやく水が引き、全ての人が車で自分の家に戻れるようになりました。私は少し疲れが出て、昨日は1日16時間くらい寝て、今は元気です。
2週間休講だった学校も明日から始まります。
ようやくブログが書けました。
次は、「洪水被害にあったら、知っておくべきこと」を書こうと思います。




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